株式会社ビレッジセンター 代表取締役 中村 満 様
過日、MIFESは20周年であると前坂さんからお電話を頂戴した。また、この機会にVZエディタを出版している(現在形です)わたしに、何かメッセージを…との依頼でもあった。
20年という時間の経過は、改めて考えると相当なる歳月である。その頃、現在の携帯電話の文化とインターネットの文明を予測した人はいったい何人いたのだろう。地下鉄の中でもピコピコとメールを発信し、パソコンは世界中を接続しているのだ。そしてVPNと称されるVirtual Private Networkは、インターネット網をLANケーブル代わりに使い、出先から安全に社内へアクセスできる時代に突入している。
そうなのだ、ヒトは知らぬ間に少しずつ変わったものが日常に組み込まれてきたことに、ある日突然気がついて愕然とするのである。ともあれ、20年前に出荷開始されたMIFESは衝撃的な製品であったと思う。
その20年前に、MIFESの存在と理想を確認しにメガソフト社を訊ねたことがある。まさか、数年後に同じカテゴリーのVZエディタを世の中に出すとは夢にも思っていない技術評論社に勤務していたサラリーマン時代である。
大阪・江坂でお会いした前坂さんは、近所のレストランで昼飯をご馳走してくれた。ランチタイムから夕刻近くまで色々な話しをしていただいた記憶がある。その時の出張は山本さんの京都マイクロコンピュータ社(駅から遠いということで最寄り駅まで送迎してくれました)と、カノープス電子社(当時は社名に「電子」がついてました)だったと記憶している。雑誌に掲載されていた岡本の住所を訊ねると、訊ね所はシャッターが降りていた。公衆電話を探して雑誌に記載されている電話番号にコールしたら、直近に事務所を出されたとのことで、山田さんが迎えに来てくれたことを思い出す。
さて、20年前である…。当時のMS-DOSは、PC-9801用のソフトはPC-9801でしか動作しなかった。東芝のDOS然り、富士通のDOSも然りである。当時のMS-DOSには柔軟性などまったく皆無であり、特にグラフィックなどのハードウェアを直接制御するタイプのソフトに対して互換性を持たせることができなかったのである。
そんな中でのソフト開発で、Disk BasicであるN88(86)日本語Basicや、MS-DOSにバンドルされたNEC純正FEPの性能を遙かに凌駕していたのが、ジャストシステム社のワープロソフト一太郎である。MS-DOS上で動作するデファクトスタンダードであった。一太郎は自由度の高い罫線や印刷レイアウトを搭載していた。また日本語FEPのATOKは使い勝手の良さで人気を集め売れに売れていたのだ。
当時、エディタと称されたソフトウェアは、一太郎を代表とするワープロソフトよりも快適に文章作成が出来るということで、パワーユーザーからビギナーユーザまでの支持を得ることとなった。MS-DOS時代のユーティリティと称されるソフトウェア群においては、MIFESとVZエディタとが人気を二分した時代だったと思う。とても光栄なことである。
エディタソフトが、印刷機能や日本語入力機能をもっていなくても大きく出荷数を延ばしたのは、「快適」と「軽快」という姿勢をユーザが求めていたからであると思う。現代とは違ってメモリもハードディスクも限られている頃の話である。
VZエディタは、コンパクトで俊敏なレスポンスを備えていなければならない。…これがわたしと作者の兵藤嘉彦氏(c.mos)との約束だったと思う。…実は、わたしたちだけではなく、国産ソフトハウス共通の気持であったと思う。
今でも、「全てのツールにあるべき姿は、ユーザがそれを意識しないで使える操作性である」と思っている会社は生き残っているような気がしている。
20年前、江坂のレストランで前坂さんにお聞きした、メガソフト社の理念を思い出す。
「一貫したユーザビリティの向上を目指します。使いやすさと信頼性に裏打ちされた先進の技術で、便利で快適。そして感動を届けられるソフトウェア開発がわたしたちの使命なのです…」
MIFESの20周年おめでとうございます。心より拍手を贈らせていただきます。
【プロフィール】
中村 満 (なかむら みつる)
株式会社ビレッジセンター 代表取締役
1956年9月生。
1986年2月技術評論社からの独立系として株式会社ビレッジセンター発足。
以後広告代理業と共にソフトウェアや書籍の出版を営む。昨今はガラナ入りカフェイン飲料の輸入卸も始めている。最近は「SoftEther VPN」を知り長生きは素敵であると悟る。
株式会社ビレッジセンターのホームページ
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