株式会社BCN 社長 奥田 喜久男 様
「MIFES」と書いて、「マイフェス」と読む。これはなかなか、難しい読み方だ。知る人ぞ知る、である。ソフトの中身もプロに好まれるエディティングソフトだ。
このソフトは1985年12月に誕生した。今年で20年間、ソフト商品を成長し続けたわけだ。立派なことだ。発売当時は、PCがビジネス分野に使われ始めたころで、最初の商品名は「MIFES-98」だ。98とあるから、あわてて、ウインドウズ98に対応したソフトが20年前にあったんだ、と感心しないでほしい。NEC、PC-98対応ということで、当時はハードメーカーの機種にソフトが対応していたわけだ。
ウインドウズOSが1995年に世の中に出るまでは、ハードメーカーがPC市場をけん引していた。ハードメーカーの企業規模は大きくて、ソフトメーカーはすべてがベンチャー企業であった。メガソフトもそんな会社として83年に創業した。
この企業に感心することが3つある。
- 会社名に"メガ "という大きな単位を使ったことだ。
いまでこそ、メガ、ギガ、テラは身近な言葉になっているが、ビット、バイト、キロバイトが標準語だった頃に、メガという語彙を社名に使った先見性には、驚きだ。
- 技術は常に変化している。ソフトを開発するためだけであれば、必ずしも最先端技術に目を光らせる必要はない。しかし、ソフトパッケージ商品の一流メーカーとして、プロ化するユーザーの要求に満足に応えるには、技術動向に目を光らせ、習得し、開発部門に移植することを継続しなくてはならない。「MIFES」を20年間、成長させ続けた実績は、その証である。
- PCの用途は普及とともに、利用分野と年齢層を広げた。もちろん、現在も拡大している。商品の特徴を時系列で分析すると、80年代は技術色の濃い商品を発売して、市場に評価された。90年代は商品の市場を絞り、得意な分野でファンを獲得した。2000年に入って、PCは成熟期を迎えた。ここにいたって、女性のユーザーの視点に立った商品を企画するようになった。注目すべきは、顧客への思いやりが、実に母性的なのである。これはニクイ、企業戦略だと、感心している。
さて、この先、2025年のメガソフト像に思いをはせよう。出世魚のように、メガからテラソフトへ、さらにペタ、エクサ、ゼタと出世する。この調子で出世すると、次には、ヨタソフトとなる。この姿は、いつも背筋をしゃんと伸ばした、社長の前坂昇さんからは想像できないので、「ゼタソフト」あたりで、思いをとどめる。「感動」を発信する頼もしいソフト会社だ。
【プロフィール】
奥田 喜久男 (おくだ きくお)
株式会社BCN 社長
1949年岐阜県出身。71年、大学卒業後、電波新聞・編集記者を経て、81年コンピュータ・ニュース社(現社名・BCN)を創業。同年、週刊BCN(BUSINESS COMPUTER NEWS)を創刊。この間、パソコン、インターネット、ブロードバンド、e-Japan構想、電子政府、デジタル時代の動向を追う。
98年、IT商品の実売情報「BCNランキング」のサービスを開始。2000年、IT商品の年間優秀商品を保証する「BCN AWARD」を制定、毎年1月に表彰式を開催、2005年3月にはフリーマガジン「月刊BCNランキング」(13万部)を創刊。
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